昭和大学医学部
合格者インタビュー
自分に対する自信が全然違いましたね。この1年間やり切ったんだっていう自信が。
髙橋 和樹さん
2012年昭和大学医学部他合格
合格おめでとうございます。
ありがとうございます。
良かったですね、かなり受かったね。
そうですね。
杏林と昭和が合格で、あと金沢、北里、獨協、東京医大は2次試験に行かなかったそうで…
はい。
いや~、贅沢な受験だね。
あはははは(笑)。
他の人が聞いたら怒っちゃいそうな…
ふふふふふ(笑)。
さて、これからいろいろと聞きたいのだけど、まずキミの出身校は?
土浦一高ですね。
茨城県の進学校だよね。
はい。一応県では一番の学校に行ってたんですが、やはり高校の時には部活動や委員会活動で忙しくてですね、あんまり勉強に励めなかったですね。
部活動は何をやっていたの?
将棋部に入っていましたね。ちょっと複雑なんですけど、1年次から部長をやらせてもらっていました。あと、委員会は放送委員会に。文化祭やその他行事の時に駆り出されて大変でしたね。
なるほどね。そうすると委員会活動・部活動が忙しくて、勉強の方まで手が回らなくて、それで去年の受験のときにいろいろと足りないところがあって…、という感じかな?
そうですね。
足りないところというのは、やっぱり…、英語?(笑)
そうですね(笑)。
英語は最後の最後まで大変だったものね。レクサスに入ったときの成績を見ると化学もちょっと足りなかったね。数学と物理は好きなのかな。
そうですね(笑)。
英語は最後の最後まで大変だったものね。レクサスに入ったときの成績を見ると化学もちょっと足りなかったね。数学と物理は好きなのかな。
はい。数学と物理は得意です。化学に関してはこの1年間ですごく伸びたと思います。いちばん伸びたんじゃないかなっていうくらい。最終的には怖いもん無しみたいな感じだったので(笑)。
化学はいちばんお買い得な科目だよね。それは受験勉強を本気でやった人はみんな言うことなんでね。それで、レクサスに2月下旬に来たけど、きっかけは何ですか?
えっとー、お恥ずかしいのですが、高校時代は委員会活動・部活動が忙しくて、母が高校3年生の10月頃から予備校探しをしていまして…(笑)。そのときの1校にレクサスがあって、まあ、あの~国立の方も足きりにあって早めに終わっちゃったので、ぐーたらしてないで予備校探しなさいってことで、山ほどあったパンフレットを漁って。いろいろ見学もしたんですけど、やっぱりレクサスがいいかなと思いまして。
キミとお母様でいらしたよね。
はい、そうですね。
レクサスの説明を聞いたときの印象はどうだった?
厳しいんじゃないかな~と(笑)。
ちょっとひるんじゃった?(笑)
今でも1日12時間勉強していたと友人とかに言うと「え?!なにそれ」みたいな感じで話しますけど…。いや~やっぱり、まあ、よく頑張ったなと(笑)、我ながら思いますね。
説明の後に基礎学力テストを受けて、さっきも話したけど英語の点数がちょっと足りないね。それでレクサスに最終的に決めたっていうのは、何か理由はあるのかな?
えっと~、理由は、僕はできれば寮が良くて、かつ厳しいところがいいということでいろいろと候補があったんですけど、レクサスは近くにハビテというところがあって、そこで朝・晩ご飯が食べられる、というのが魅力的でした。それが結構大きかったと思います。
髙橋君が食事のたびに寮母さんに「美味しかった!」というので、寮母さんすごく喜んでいたみたいだよ。後輩もキミを見習って「美味しかった!」って言おうってなって(笑)伝統になりつつあるって。
それは良かったです。光栄です(笑)。
レクサスに入学することを決めてプレ学習に入ったけれど、プレ学習はどうだった?
それも…、厳しかったです(笑)。いちばん最初につらかったのは沼山先生とか中村先生にまず文字が読めないと。テストを提出しても「おまえの文字は読めない」と言われて、採点をしてもらえないのは辛かったですね(笑)。
はじめから厳しかったね。
はい(笑)、大丈夫かなと…。で、あのー、ちょうどプレ学習をやっているときに震災がありましたので、僕の出身は茨城なので、茨城のほうでは水が止まったりとかたくさんあったらしくて母に「あのときおまえは東京に、しかも寮があるところにいてくれて良かった」と。おまえだけでもご飯が食べられるっていう。プレ学習が始まって割とすぐだったので…。大変でしたよね。
入学してからクラスもいろいろとありましたね(笑)。教材はどうだった?
教材は…そうですね、レベルに合ったというか、とてもわかりやすい教材でしたね。特に数学はかなりいろいろな問題をやらせていただいて、あとは授業もわかりやすくて。
数学は例の追加の問題もやっていたの?
やっていましたね。途中まで。
あれ百何十題かあるよね。いくつまでいった?
30とか40題くらいまではいったと思うんですけど。
数学の追加の教材をやらせてもらえるってことは数学はかなり力があるってことだよね。
数学の追加の教材をやっているときに沼山先生に「お前はそれやらなくていい。英語をやれ」って会うたびに言われて(笑)。あと化学の質問があって桑原先生に質問に行くと、桑原先生から「キミは英語やりなさい」って言われたのは今でも印象に残っていますね。
化学はすごくできたから(笑)。基礎学力テストの点数を考えると本当に伸びて最後に化学なら怖いもん無しでしたからね。夜間指導のシステムはどうだった?
大広間にみんなが集まって勉強しているってとてもいいことだと思いましたね。渋谷区文化総合センターに移ってからはちょっと変わっちゃったみたいですけど。
基本は変わらないよ。ただ区切りがちょっとついたって感じなのでね。
他に医者を目指している、同じ土俵に立っている人たちがあれだけいるんだなってことを感じられたんで、やっぱり夜間指導では、…ちょっと居眠りしかかったこともあったんですけど(笑)。自分で単なる自習をしているよりも絶対集中して勉強できたと思います。
夜間指導でこなさなければならなかった課題はどうだった?
課題はすぐ終わっちゃったりしたのでもうちょっとあっても良かったのかな。
髙橋くんは時間が空いていたら英語をやらなければいけなかったからね(笑)
そうですね、といいつつ数学の発展問題に手をつけるという(笑)。
夜間指導で課題をこなし、次は定着を確認する小テストですけれど、髙橋くんは英語の小テストはあまり良くなかったね。
すみません。
2学期になってから、特に9月頃英語が大変で中村先生にだいぶ厳しいことを言われたりしてね。
沼山先生・中村先生には本当に大変なご迷惑を…(笑)。叱っていただいてって感じですね。
さっきの化学が伸びたっていうのは、指導している僕が言うのもなんだけど、1学期に化学の基礎を積んだってことだよね。
あれはとてもいいものだと思います。全範囲を何回も、3回くらいやりましたもんね。
全体では4回やっているよ。「何回も繰り返す」これはどの教科でも同じですね。でも、途中の実力テストなんかはさ、意外と成績出ていたよね。外部模試も含めて英語の先生の期待を裏切って(笑)。
そうでしたね(笑)。
一緒に勉強した友達についてはどう?
同じ目標に向かっているのでとてもやりやすかったというか、お互い励ましあいながらやっていて、良い環境だったと思います。
そうだね。先生方はどうだった?
先生方は…、そうですね。あの~…、質問、僕はあんまりしなかったんですね。最後のほうはわからないところは質問しに行ったんですけど、穴を埋めていくって形で結構わかりやすく教えてくれる方とそうじゃない方といらっしゃいましたけど、でもとても為になったと思います。
分からないことを聞きたいときに聞けるっていうのはありがたいシステムだよね。実はキミ達と同じような生活と勉強を1人で2年間くらいやったけど…、しんどかったよ(笑)。誰にも聞けない、それでしょうがないのでわからないと大学の専門書を引っ張ってきてこうやって見ていたりしたけど時間がかかってね。
あれだけすぐ聞けるって体制はすごく良かったです。
キミに不得意科目の克服法について是非聞きたいな。化学は、4月の時点では不得意気味だったけど、これはまぁ、あのやっぱり回数の繰り返しってことで、ある程度克服できたって感じかな。英語については最後まで苦労していたと思うけど、何が問題だったのかな?
英語はやはりあの~…、単語と熟語が…、やっぱり覚えるのが苦手だったので、そこをなんとかしなきゃなと思って。それと“Insight”(文法用参考書)、あれも必死でやりましたし、あとはひたすら読んだってことですかね。長文とかも実際は文章の形で出てくるものなので、読んでという感じ…ですかね。でもやはり、レクサスで与えられた教材をこなしてれば普通にできるようになっていくと僕は思いました。
要求量が多いからそれをきっちり守ってって感じだよね。で、やっぱり英語は単語・熟語・文法がある程度できるようにならないといけないというのはあるよね。
あとは医学部特有の問題とかやっておくととても良いです。
センターの英語は何点だったの?
センターの英語は、180…9割取っていますね。
4月の時点での成績を考えるとセンターで9割というのはすごいよ。あの短い時間内にそれだけのことをこなせたってことはそれだけ力がついたってことだね。
とても嬉しかったですね。ちゃんと力がついてきてるんだなって実感しました。
入試のときの自信というか手ごたえはどうだったの?
えっと~、僕は最後までやって合格を取ったのは杏林と昭和なんですけど、杏林は、あの~、やって帰ってきて丸つけとかするじゃないですか、採点というか。それで半分くらいしかできてなかったので「これで受かるのかな?」と思っていましたけど、大谷先生とか中村先生が「いや、おまえ受かった」って言ってくださったので(笑)。そうなのかな~?と思ったら受かっていたので、ちゃんと先生方はわかってらっしゃるなーと思いましたね。
杏林は本当に問題が難しい…。昭和は逆に…?
昭和は逆に手ごたえありました!これは受かっただろう、と。
すごいね!
補欠でしたけど、すぐ合格回ってきまして。
すぐだったよね!
あれ、何か間違えたんじゃないかなと思いました(笑)。正規合格の発送といっしょだろ?!みたいな。昭和は持っている力をほとんど出し切れた感じがしましたね。
去年受験したときと今年の受験、大きな違いはどこなのかな?
心構えっていうか、やった実績、自分に対する自信が全然違いましたね。この1年間やりきったんだっていう。
やっぱり去年は自分でも勉強が足りないなって気持ちで受験したのかな?
受かればいいかなってぐらいで(笑)。ちょっと甘えがありました。
今年はやりきったという自信を持って受けられたね。それは本当に良かった。
はい。
レクサスで1年間勉強して、振り返っての感想はどうかな?
感想ですか…え~、自分にとっても良かったというか、とても貴重な経験ができた1年間だったと思います。僕だけじゃなくて他に年上の方もいらっしゃいましたし、いろいろな人が医者を目指しているんだなというのもわかりましたし、あとはとりあえず勉強、今までの中でいちばん勉強したかなって思います。
多分これから先こんなに勉強することはないよ。国家試験も勉強時間数は多いかもしれないけど、これほど精神的にきつくないからね。受験って受かるか受からないかだけれど、国試って基本的には受かるが大前提で、競争の試験じゃないから、そこはね。
取れてれば全員受かる…?
そうそう、ちゃんとやっている人はみんな受かる試験だからね。
はい。
お父様お母様、ご両親のレクサスに対する感想は?
いや、あの~…、「入れてよかった」と。ちゃんと結果を出してくれて、1年間で終わってとても良かったと言っていますね。
受験勉強ってこういうところは注意しないといけない、といったアドバイスをお願いします。
受験勉強は、僕は最後にちょっと気を抜いてしまった部分があったので、最後まで気を抜かずにってことと、やはり、やったという自信が最終的には形になるのでやり抜くことが大切だと思います。勉強して体調を万全に整えて怪我をせずにちゃんと試験に臨めば大丈夫だと思います。
でも国立もいい線いったよね。だってセンター試験の得点8割後半でしょ?しかもね、「キミのため」のように高知大学は英語がないって(笑)
英語がないです(笑)。
正直いけるのではないかなって、惜しかったよね。次に受験勉強全般ではなく、レクサスをこれから利用する人たちに対してレクサス利用のアドバイスとかコツをお願いします。
困ったら先生に相談してみることですね。自分で悩むんじゃなくて先生に「ここはどうしたらいいですか?」っていうと親身になって聞いてくれるので。受験は個人競技ですけどやっぱり団体戦というか、みんなで助け合っていったほうがいいと思うので。やはりさっき言った友達とかも作ったりして、僕は楽しんでいました。僕は結構遊んでいた気がするので(笑)。
あとは大学で特にこれをやりたい、勉強とかそれ以外のこと何でもいいんだけど、これだけは大学に入ったら絶対やるぞってことは?
大学に入って僕はやりたいなというか、僕のモットーとしてやりたいなと思っているのは勉強を、まー、この1年の勉強以上とはならないでしょうけど、勉強をきっちりやりたいですね。なぜかというと今までの勉強っていうのは僕が医学部に入るための勉強です。でもこれからの勉強っていうのは、僕が医者になったときに診る患者様のためだったりするので、やはり勉強はとりあえずちゃんと第一にやっていきたいです。部活は水泳部かなんかに。1年間運動してなかったので運動もしたいかなと思いますね。
なるほどね。将来はどうしたいの?
将来は医者になって、父のところを、ですね。
やはりお父さんお母さんが耳鼻咽喉科だから、耳鼻咽喉科の専門ってことだね。
継ぎたいと思っています。
髙橋くんはこれで耳鼻科の専門医になって、お父さんお母さんと一緒に仕事ができるのは非常にいいと思うよね。
それは一応夢だったので。
お父さんお母さんもキミがこういう道を進んだっていうのは非常に喜んでらっしゃるだろうしね。自分と同じ仕事でしかも後を継いでくれると、自分の仕事を認めてくれた子どもに対する感謝みたいな気持ちがあったりしてね。もちろん反発してさ、別の世界で成功してもそれはそれでうれしいけど。そういう部分でも非常に親孝行だったりするのでね。まぁ、授業料も親孝行だよね。
あははは(笑)。1年間で済んでという。
はい、では今日はありがとうございました!
ありがとうございました!