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現役東大生理Ⅲブログ

東大生TMNブログ~受験生活編Vol.10~ 高校3年3月

受験生活編|現役東大生理Ⅲブログ

 3月ともなると、すでに二次試験も終わっていて、受験期どころの騒ぎではありません。何を書けばいいか、というか、書くべきことが見当たらなかったので、2月(受験期)分の日記で触れていなかった二次試験当日の様子を、なるべく事細かに書いてみようと思います。雰囲気だけでも伝わって、それが皆さんの参考になればと思います。

 試験の前日(2/24)には東京入りし、ホテルからの交通手段の確認も兼ねて、会場の下見に行きました。父親と二人です。理科3類の試験場は本郷キャンパスの農学部で、ホテル(後楽園でした)からは徒歩圏内でしたが、南北線を利用しました。仙台市営地下鉄(まさにホーム柵設置工事の只中でした)に慣れ切っていた僕にとっては、南北線のビビッドで巨大なホーム柵は超合金ロボットのように感じられたのを記憶しています。車内の人口密度の高さも非常に不快で、傍らにいる父親にひたすら文句を述べ立てていました。農学部には東大前駅を出てすぐの弥生門から入ります。門をくぐると、どこか空気が変わり、厳粛な、いかにも学問の場であるという感じが伝わってきて、さすが首都東京、この雰囲気は地方にいては絶対に味わえない、なるほど偉人も多く現れるわけだ、と妙に納得しました。父親と適当なおしゃべりをしながらあれこれ構内を巡ると、あとはさっさとホテルに戻って体を休めました。

 まだ4時ぐらいです。何もしないでいるのも不安だったので、「どういうことがすなわち力を出し切ったことになるのか(=どうすれば後悔しないですむか)」をはっきりさせておこうと、思いつく限りを箇条書きにしていきました。それが済むと今度は、自分の犯しうるミスを、これまた思いつく限り箇条書きにしていきました。どちらも試験前に見直せる形で残しておいたほうがいいだろうと思ったからです。一旦夕食のために外出し、それから戻るとゆっくり風呂に入りました。普段から湯船につかるのが習慣だったので、ユニットバスではありましたが、そうしました。その後は多少頭を慣らしておこうと、数学の問題を、とくに計算が煩雑になるようなものを選んで、いくつか解きました。立体の求積問題などです。どれも計算ミスが出ていましたが、ダメ元のほうが力の出る自分にとっては逆に良い傾向だろうと前向きに捉え、10時ごろには寝ました。部屋は父親と別々でした。奮発してもらいました。

 翌朝は5時くらいに起床して、ホテルのバイキングで朝食をとりました。レストランで周りを見渡すに、いかにも東大受験生、という人たちがうじゃうじゃしています。島根チョメチョメ高校、と背中に入った黒に金ラインのジャージを着た人を見つけて、地方!と嬉しくなりました。田舎者の東京コンプレックスは、東京に住む人が思う以上に深刻なのです。バイキングのメニューは忘れてしまいましたが、グレープフルーツジュースは飲んだ記憶があります。朝食が済むと、大変に混んだ南北線で会場入りです。弥生門の前で開門を待ちます。受験生が友達どうしで慣れ合っていたり、大手塾の職員がノボリを持って生徒を応援していたりするのを不快に思いました。仙台から一人、仲間がいないということへの、これまたコンプレックスから来る、いうならば嫉妬です。彼らの脇で、僕は父親と話していました。

 そして開門です。父親とはここでお別れです。センターと二次試験、二枚の受験票を受付に提示して門をくぐると、ふと、昨日の下見では一切無かった感情が湧きあがってきました。やっとここまできた、という一種の達成感です。全く予期しないことでした。試験に関して言えば、何も始まってはいません。しかし、これまでの受験勉強の蓄積が思い返され、そこで頑張ってきた自分が誇らしく思えてきて、農学部のキャンパスも神々しく見えたのです。思えば受験勉強を開始したのはその1年前で、そのころは理科3類、どころか、東京大学自体が雲の上の存在でした。合格できるかどうか、以前に、受験できるかどうかが問題だったのです。そこからここ、試験当日まで漕ぎつけた、ということにある意味感動したわけです。

 教室はまあまあの大きさで、100人弱の受験生がいました。幸い前から2番目の席だったのでリスニングに関する心配が解消され、ほっとします。前日に作ったメモを見返しながら、他の受験生にも目を配りました。「ここにいるのは同世代のトップの人たちなのだから、しっかり目に焼き付けておこう。仮に不合格だったとしても、そのトップの人たちと同じ時間を共有したこと自体が大きな経験になる」みたいなことを考えていました。合理化も甚だしいです。カロリーメイトをつまんだり、何度かトイレに行ったりしていると、試験監督の先生達が入ってきて、各種の説明を始めました。試験時間間際なのに悠々と遅刻してくる人もいたりして、しかもその人が大量の鉛筆の入った筆箱の中から数本を厳選して取り出していたりして、そんなことにも、やはり違うなあ、みたいな感心を覚えていました。

 さて、1科目目は国語です。正直、国語には期待していません。足を引っ張りさえしなければそれで満足で、それには漢文と古文、それと漢字ができれば十分でした。ただ、思いのほか歯車がかみ合い、漢文には多少時間がかかったものの、古文で既知の文章が出題される(東大はありえないはずの)幸運に助けられ、時間的な余裕を持てた現代文でもある程度の解答が出来ました。50点はいけそうな手ごたえでした。模試でも無かった位に納得のいく形で試験時間を終え、幸先のいいスタートを切ることが出来ました。休憩時間に思わず、父親に出来が良かったとの報告の電話をしたくらいです。2科目目の数学までは、昼食時間を挟んでいることもあってだいぶ時間がありました。適当に食事を口に含むと、トイレの個室でストレッチをしたり、ぼっとし始めていた頭に熱冷シートを貼って仮眠をとったり、恥ずかしいことは極まりないのですが、とにかく数学になるべくいい状態で臨めるよう、やれるだけの事をやりました。

 もともと、僕は2日目(理科・英語)勝負だと思っていました。単純にその2科目分の点数の期待値が高かったこともあり、他の受験生を上回れる所があるとすればそこしかないと実感していたからです。ですから率直に言ってしまえば、1日目は足を引っ張りさえしなければ、もっと言うと、首さえつながればそれでいいくらいの気持ちではありました。そうした前提の上、なおかつ国語の出来も良かったため、数学には幾分楽な気持ちで臨めました。ただ、ダメ元の精神状態を作るのは忘れないようにしました。「どうせ解けない」とか「だめでもともと」とかの文句を、頭の中でひたすらつぶやいていました。

 はてさて、数学の出来はよくありませんでした。解答時間150分のうち60分経っても1問も解けず、120分たってもようやく1完というありさまでした。いくら国語で稼げたとは言え、これでは首が切れてしまいます。焦りが出てきます。時計を見る回数も増えます。まずいまずい、まずいぞこれは、とか考えます。頭の中がまずいに満たされていきます。問題用紙を何度も見直します。その挙句、ようやくもう1問、完答することが出来ました。不等式の問題です。今思えば、この問題が合否の一つ目の決め手でした。結局2完3半で、おおよそ60点くらい。1日目でだいたい110点取ったことになり、2日目は理科で90点、英語で90点取れれば計290点で合格点に乗りそうです。首の皮が繋がりました。

 試験後、迎えに来てくれた父親には、首の皮が繋がった、明日勝負だ。とにかく明日勝負だ、と呪文のように話しかけていました。ホテルに戻って夕食をとり、前日と同じように風呂に入ると、少しまとめノートを見返して、すぐに寝ました。とにかく疲れていました。

 翌朝も同様にバイキング(グレープフルーツジュースを飲んだんだろうと思います)で朝食を済ませ、南北線で会場に向かいます。余談になりますが、この日は丁度バンクーバー五輪のフィギュアスケート女子FPに当たっていて、トリノ五輪でイナバウアーに感動して以来フィギュアにそれなりの興味を持つ僕としては浅田真央の演技も気になります。のですが、さすがに、自分の試験に集中します。とにかくこの日勝負です。

 英語は一番得意で、最も高得点が期待できました。やりようによっては100点も十分にあり得ます。ですから、入れ子構造のようになりますが、首の皮をつなげた2日目の理科でも首の皮をつなげさえすればいい、みたいに考えていました。意識してこう考えるようにしていた部分もあります。可能な限り余計なプレッシャーを減らしたかったのです。

 そんなことを考えていたからかもしれませんが、理科でもかろうじて首の皮をつなげるような結果に終わりました。僕はそれまで一貫して、初めの1時間くらいで物理を済ませ、残り時間を全て化学に使うようにしていたのですが、その物理が落とし穴で、大問3つのうち、力学と波動で9割方解けたのはいいものの、電磁気にほとんど手をつけることができませんでした。ブリッジ回路の問題で、何が何だかわかりません。焦りました。物理にかける時間を長くしようかとも考えましたが、物理でまあ35点は取れているだろう、それならばここから化学で45点を取り、英語で頑張って100点取ろう、と考え化学に進みました。ところが化学も嫌な感じの問題ばかりで、残り15分の段階で35点分くらいの出来、しかも残りは行き詰まった問題ばかり、とまずい状況に陥りました。ここで物理に戻ることも考えましたが、物理と化学を比較したとき、どちらが自分に取り組みやすいかを考え、そのまま化学に取り組むことにしました。とても焦っています。しかしこの最後の15分でどうにかこうにか10点分の問題は解くことができ、理科でも首の皮が繋がりました。理科のラスト15分での踏ん張り、これが合否の二つ目の決め手でした。

 こうなると、予防線を張っていた通り英語勝負になります。のですが、どういうわけか、英語の試験には4科目のうちで一番気が抜けた状態というか、もうすでに終わった、みたいな気分で臨んだ覚えがあります。英語には自信があったので、ミスさえしなければ大丈夫、という気持ちからかもしれません。思った通り、英語に関しては特に大きなしくじりもなく、解答用紙を見るだけで英作文のテーマがはっきりわかるという幸運(古文に続いて2つ目です!)も合わせて、最低でも90点、あわよくば100点も期待できる出来に落ち着きました。合計で280~290点くらい期待できそうです。なんにせよ、これでひとまず受験は終わったわけです。

 迎えに来た父親には、合否は五分五分だろうと伝えました。達成感を感じるというよりも、とにかく疲れていました。ホテルのレストランで休みながら自宅にいる母親に連絡を入れたりしていると、新幹線の時間がきました。とにかく疲れていました。新幹線がホームを出るとき、何か音楽を聴きたいと思い(試験直前は歌詞のある音楽は自制していました)、ビートルズのMagical Mystery TourをBGMに東京を後にしました。これからこの曲を聞くたびに今日の事を思い出すのかもしれない、などと、気持ちの悪い自己陶酔に陥りました。仙台の自宅にたどり着いたのは夜もいいところで、風呂に入るとすぐに寝ました。とにかく疲れていました。浅田真央は、トリプルアクセルを成功させながらも、銀メダルでした。

 3月1日に卒業式を終え、どこか宙ぶらりんな気分で合格発表の日を迎えました。自己採点はとてもする気になりませんでした。本郷の掲示板の前に行く気にはなりませんでした。自宅で、こたつに入って、パソコンの画面に目を注ぎます。東京大学新聞サイトの更新が一番早いとのことだったので、F5キーを押し続けます。思いがけず、合格者受験番号の発表に先立って、合格最低点が画面に現れました。264点でした。280点をひたすら目標にしていましたから、まさかの低さです。これは受かった!と思いました。僕は試験の手ごたえと実際の点数との間の隔たりが小さい自負があり、今回は280点でボーダー勝負、という感触があったからです。264点に驚かされてから数分後、合格者受験番号一覧へのリンクが画面に現れます。心臓が凄いことになっています。覚悟を決めてクリックします。理3の一覧はページの一番下です。スクロールをじれったく感じます。理3かと思ってスクロールを止めますが、まだ理2の部分です。ゆっくりスクロールします。理3の部分が現れます。左上から番号をたどっていきます。ひとつ、またひとつとたどります。ぱっと自分の番号が見つかり、歓喜と疑惑の念が同時に起こります。もう一度見直します。理2の部分を間違って見ていたんじゃないだろうか。確かにあります。受験票と見比べます。間違っていません。合格した!という喜びが一気に沸いてきます。ガッツポーズです。室内ですが、ジャンプしました。ジャンプしてガッツポーズしました。のちのちの点数開示によると、合計点は293点で、内訳(国 51 数 61 英 90 化 44 物 47)も大体予想通りでした。物理だけが思っていたよりも10点以上高く、これはこれは、という感じでした。

 だいぶ長くなってしまいましたが、二次試験から合格発表までをできるだけ詳細に書いたつもりです。これまで合格体験記を書くようなことがあっても、このあたりの期間についての記述は避けるようにしていたので、文章にしたのは今回が初めてです。いざ当日のことを思い返してみると、どうにも記憶が断片的で、まとまりを欠く文章になってしまい申し訳ないです。どうでもいいことばかり覚えていたりして、脳みそに不信感を覚えます。あらためて見直してみると、当日の自分の言動や心情は受験中心の価値観からくるナルシズムの宝庫で、見ていて嫌な気分になります。この文章で自分の合格を自慢するつもりはいっさい無いのですが、そう読めても仕方がない内容です。僕としては、自分のしたことや思ったことをできるかぎり忠実に文章にして(この意味で極力枝葉末節も切り落とさないようにしたのですが、むしろそっちが主役みたいになってしまいました)、それをモデルとして提供したかっただけですので、なんだこいつ、ひけらかして、みたいな目で見ないでもらえるほどありがたいこともないです。付け加えて、文章への父親の出現頻度の高さから、いかに僕の精神安定が父親に依っていたのかを痛感します。基本的には孤独な受験期間に、理解を示す話し相手がいることの効用は思いがけず大きいものです。この場を借りて、というのもおかしい話ではありますが、直接言うのも気恥ずかしい部分がありますので、父親にも(両手一杯に)感謝したいです。

 ひとまず今回で僕の受験期1年分の記述も一段落です。来る4月からどうなってしまうのか、というのはありますが、ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。しつこすぎるほど繰り返しますが、ここでの記述はあくまでもモデルにすぎません。自分に最適な学習計画や、その実行法は独力で見つけ出すしかありません。この部分の力を養うことが、個々の科目で得られる知識よりもむしろ、受験勉強の成果として大きいものだと思います。皆様一人一人のがんばりを願っています。