現役東大生理Ⅲブログ

東大生TMNブログ~大学生活編Vol.31~ 2012年3月

大学生活編|現役東大生理Ⅲブログ

春休みはずっと実家です。食事も勉強机もバスタブも、慣れ親しんだものに囲まれると気も休まりますが、最も帰省を実感するのは新聞を読んでいる時で、というのも、東京の暮らしではyahoo!ニュースが関の山だからです。だからといって内実は、もっぱらスポーツ欄をさらうばかり。それではいけないと今春は、「縮約」で紙面と能動的に関わってみることにしました。

大野晋氏の「日本語練習帳」(岩波新書)がそもそもの発端です。以前から、たとえば現代文の受験勉強中に“対象の認識は言語による分節化でなされる”的な文句を目にしたときなど、人間の生の前面に関係してくる言語に興味を持っていました。やろうやろうと思いつつ、何かと言い訳を拵えながら辿り着いた今回の春休み、贅沢な空白期間にテーマの一つも無いのはもったいないということで、ようやく言語を触るに至ったわけです。参考書籍を調べるのに、高校時代の国語便覧は便利でした。

「縮約」は新聞の社説欄を素材にして行う作業です。社説は概ね1300字ですが、これを400字の原稿用紙1枚に、いくつかの段落からなる文章としてまとめ直します。その際、1行多くても少なくてもいけません。意識するべきは「文章の構造」を捉えることで、この点で「縮約」は、趣旨に至る筆者の意見をまとめる「要約」とは違います。

抽象的な意見①(具体例①)
       ↓
抽象的な意見②(具体例②)
       ↓
抽象的な意見③=趣旨

「文章の構造」を非常に単純化すると(もちろん実際は対比が絡んだりして、ずっと複雑ですが)上のようになるはずです。書き手は趣旨を言うためにその文章を書こうと決意し、それは何かの定義(例:正義は相対的なものである)であり、主張(例:環境保全のため、人間は文明を捨てるべきだ)です。しかし、趣旨だけぽつんと書いても読み手にわかってはもらえない。そこに説得力を持たせていく過程が「文章の構造」なのだと思います。③を言うためには②を言う必要があり、②を言うためには①を言う必要がある。抽象的なことばかりを言われても理解しにくいだろうから、そのそれぞれに具体例をセットにする。こうした意味段落の組み合わせから文章が出来上がっていきます。

「要約」では①→②→③と至る抽象的な論旨だけを書けばいい。対して「縮約」では、そのそれぞれに付随する具体例も含めます。つまり文章に意味段落ごとの切れ目を入れた後、その部分的な意味段落が全体の中ではどこに位置づけられるか、どんな役割を果たしているのか、それを考える必要が出てきます。その上で、それぞれの意味段落の内容を簡潔にまとめる。そのためには一つ一つの単語の意味の正確な把握や、適切に言いかえるための語彙力が要求されます。

繰り返しになりますが、言語は全ての活動の基礎にあります。日本人は、よほど外国語に達者な方を除けば、日本語を通じてしか生きられません。しかしながら、母国語であるがゆえに、日本人の国語学習はいい加減になり、意思の疎通はできているじゃないか、と割り切ってしまいがちです。そこで大野氏は「日本語の鍛錬」の必要性を訴えます。手段としての日本語を砥いでおかないことには、正確に認識することも思考することもできないのです。そして氏の勧める鍛錬の方法が「縮約」であって、僕は権威に迎合しますので、やってみましたよというのが今回のお話です。

「縮約」をやれと言っているわけではありません。ただ、人生に金魚の糞のようにひっついてくる日本語に、ちょっとばかり自覚的な眼差しを向けてみても、罰は当たらないはずです。